なごみ庵に新人さん、いえ、新しい仏さまがいらっしゃいました!

さっそく登場どうぞ!

 

 

……大日如来さまです(汗)

浄土真宗は「弥陀一仏」と言われるように、とにかく阿弥陀さまひとすじなのに、なぜ大日如来さまがいらっしゃったのか…経緯をご説明しましょう。

 

なごみ庵の縁人会員さんで、平成28年に生前法名を授与させていただいたKさん。

ご自身の信仰として大日如来さまの仏像をお迎えしていたそうなのですが、先日お亡くなりになりました。

 

ご本人の生前の意思として、葬儀は なごみ庵住職に頼むこと、そして大日如来さまも同じく なごみ庵住職に託すこと、とご家族に伝えていたのだそうです。

 

葬儀の相談と前後して、ご家族から大日如来さまの件も相談されました。

宗派的には信仰の対象ではない仏さまですが、でもどの仏さまも菩薩さまも尊い存在に違いありません。

私の感覚として、阿弥陀さま以外の仏さまは「友好関係にある隣国の王さま」です。

 

そんなわけで、お預かりさせていただくことにしました。

ご自宅にあった仏像なのでそれほど大きなものではないでしょうし、木製のようなのでそれほど重くないでしょう……

 

 

と思ったらデカイ! そして重い!!

光背(後光)の上部までだと90cmほどあります(汗)

しかも木製かと思ったら金属製なのでとっても重い(大汗)

光背・ご本体・台座の3つのパーツに分かれていますが、組み立ててしまうと私でも持ち上げるのが厳しいほどの重量です。

 

とりあえず何とか本堂に安置しましたが、小さな小さな なごみ庵ですので存在感がスゴイです。

ご来庵の際には、ぜひお参りください (^人^)

2013年1月から始めたワークショップ「死の体験旅行」が、2020年10月24日の開催で200回を迎えました。

 

 

まだ200回だったのかという気もしますし、もう200回も積み重ねたのだなと感慨深いものもあります。

自分の特性のひとつとして、一度始めたことを続けられるというのがあると思いますが、それにしても執念深く続けてきたものです。

 

今年に入り、新型コロナウイルスの影響でしばらく開催できない期間もありましたが、このワークショップのお陰で多くの学びや気づきや出逢いがありました。

 

受講者は少数のリピーターを含め、延べ3719人。

始めた頃は、こんなにも多くの方が「死」なんてことに関心を持ってくださるとは思っていませんでしたが、毎回のように定員に達し、遠方からわざわざいらっしゃる方の姿を見て、その思いは覆されました。

 

いつしか、「自分も開催したい」と熱心に言ってくれる僧侶も出てきて、現在までに18名の方にお伝えし、その方たちと仏教死生観研究会という団体を立ち上げることができました。

各地の仲間がそれぞれの地元で開催してくださっている様子を見ると、なんだか嬉しくなります。

 

 

人はいつしか死ぬ。

その死に向き合うことは、自分の人生を誠実に生きることに繋がると私は考えています。

 

これからも「死の体験旅行」を続け、多くの方が「死」と向き合って良い気づきを得る場を作り続けていきたいという思い。

 

また、その方たちが人生で何かあった時、各地のお寺や僧侶に頼ってみよう、相談してみようと思う縁になれればという思い。

 

このふたつの思いが、私の原動力です。

10月8日に、あの本多劇場に立たせて頂きました!!

若い頃から芝居をしてきた私には憧れの劇場です。

 

なんとコロナのお陰で舞い込んだ話でした。

コロナで良い事もあるんですね (^_^)

 

私がいつも参加している「プレオム劇」は女優ばかりで構成されています。

プレオム劇の作・演出は中島淳彦さんです。

主催は中島淳彦さんと女優の馬場奈津美さん。

 

笑って泣いて…ほんと中島さんの本は素敵で、出てくる女優も強者ばかり。

見に来てくれたお友達からは、たくさん喜んでもらいました。

 

その中島さんが、昨年の12月にお浄土にお還りになられました。

寂しい……寂しいですよ。

 

 

本当は今年の12月にライブハウスで、3年前にやった「中年女、老毒。。。朗読ライブ」をやる予定でした。

ですが…コロナでしょ…。無理だろうな…って思っていました。

 

そしたら、なんということでしょう…。

本多劇場でやらないかって話が舞い込んだのです。

 

 

ほんとにやって良かったです。

やろうかどうしようかと、迷いに迷いましたが、ほんとやって良かったです。

宝物のような公演になりました。

 

配信でも10月31日までご覧になれます。

料金は2000円です。


https://eplus.jp/asatteFORCE/

 

配信で見た方からも良かったよ〜と長文の感想を頂いています。

手前みそですが、おすすめです \(^o^)/

どうぞ見てやって下さい m(_ _)m

よろしくお願いします (^人^)

◇ ひとつになって ◇

 

10月8日に坊守が舞台に立ちました。

 

コロナ禍で今年は無理だと思っていましたが、小泉今日子さんのご縁で憧れの下北沢・本多劇場のステージに立つことができたのです。

 

なごみ庵の法要や行事で人に接する機会も多く、実家には持病のある家族もいるので悩みに悩んでいましたが、「人生は冒険だ」という芝居のセリフを思い出し、出演を決めたようです。

 

もともとは昨年末に亡くなった劇作家・中島淳彦さんの追悼という位置づけで、12月に予定していた朗読ライブです。

ここ何年も一緒に芝居を作ってきたメンバーのほとんどが、この冒険に集まりました。

 

以前なら稽古後の食事も楽しみでしたがそれも無し。PCR検査も受け、稽古場や劇場の出入りの度に検温・消毒と対策を徹底し、1度限りの本番を迎えました。

 

私ももちろん劇場に足を運びました。

定員は本来の半分ほど、客席には数席ごとに黒い仕切り版が立ち並び、今までにない異様な雰囲気です。

 

しかし開演して演者が舞台に登場すると温かい拍手が巻き起こり、すぐに劇場はひとつになりました。

演者は舞台に立つ日を、観客は舞台を見る日を待ち望んでいたことが伝わってきます。

 

 

演劇は古代の宗教儀式から始まったと言われますが、近代になると映画やテレビやインターネットが誕生し、劇場に行かなくても芝居を見ることができるようになりました。

 

けれど生のお芝居は無くなりません。

それは一方的に「見る」ことだけが目的ではなく、見る側・見られる側がお互いの息づかいや体温までをも感じ、ひとつになって「場を作る」ことを、人は求めているからではないでしょうか。

 

そしてそこには、舞台を愛した亡き方までもがひとつになって存在していたように思うのです。

 

 

◎ お 知 ら せ ◎

 

◎各種コロナ対策を取りつつ、お寺の行事やご法事をおこなっております。

茶話会はしばらく休止を続けますが、その代わりに皆さんから一言ずつ近況報告などしていただいています。

 

◎朗読ライブは10月末まで有料ネット配信中!

 https://eplus.jp/asatteFORCE/

 

◎「さきゆきケア」勉強会 11月3日(火祝)13時 参加費1500円

先月のお知らせの通り、自分自身の「さきゆき」について学び考える会です。

自分の思いや願いがしっかりと伝わり、実現するように考えてまいりましょう。

 

◎「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の活動について

毎月の行事および毎年12月1日の自死者追悼大法要とも、オンライン開催になります。

詳細は会HPをご覧ください。

http://www.bouzsanga.org

 

◎報恩講法要 12月13日(日)11時・15時/14日(月)14時

別紙の通り、坊守による新演目『愛しき娘 みすゞ 〜いのち繋がる物語〜』を上演いたします。

密を避けるために3回に分けておりますので、ご都合の良い日時にぜひお申し込みいただき、ご参加ください。

 

◦なごみ庵 オリジナルお経本・お経CD 各500円 郵送の場合は別途送料200円です
◦神之木地区センター写経会  11月10日・24日(火) 18時30分
◦死の体験旅行 なごみ庵で月1〜2回 開催しています
 神奈川大学 生涯学習:再会未定
◦自死遺族と僧侶のオンライン茶話会 毎月第4木曜日

念仏とは自己を発見することである
The Nembutsu enables us to discover ourselves.


今年の法語カレンダーは、僧侶であるなしに限らず広く念仏者の言葉が引かれています。

 

10月は真宗大谷派の高名な僧侶である金子大榮 師の言葉です。

金子大榮 師は明治生まれで昭和中期まで活躍し、大谷大学の名誉教授にまでなった方です。

 

 

<解説>
念仏というと「馬の耳に念仏」ということわざもありますが、なんだか有り難いけれど難しいもの、というイメージがあるかと思います。

 

特に声に出して称える念仏は、信心深い年配の方などが繰り返し繰り返し称えるような印象で、なにか呪文のように捉えられているかもしれません。

しかし念仏にもちゃんとした意味があります。

 

南無はインドの古代語であるサンスクリット語の「ナマス(信じる、帰依する)」という言葉に漢字があてはめられたものです。今でもインドの挨拶は「ナマステ」という言葉になりますが、これは「ナマス」に「あなた」を意味する「テー」が付いたもので、ナマステは「あなたを信じます、あなたに帰依します」という信頼を表す言葉になります。

 

続く「阿弥陀」は仏さまのお名前です。これもサンスクリット語では「アーミータ(量りきれない)」という言葉で、この後には「アーユス(いのち)」と「アーブハ(ひかり)」という意味が内包されています。ですので阿弥陀仏の異名で「無量寿仏」や「無量光仏」といったものがあります。

 

最後の「仏」はサンスクリット語で「ブッダ(真理に目覚めた者)」となります。手塚治虫さんのマンガでも『ブッダ』という作品がありますが、実は固有名詞ではなく、真理に目覚めた者は皆ブッダなのです。中国で意訳されると「如来」という言葉になるので、同じ仏さまなのですが阿弥陀仏とか阿弥陀如来というふうに、呼び方に少し揺れが生じます。

 

というわけで「南無阿弥陀仏」の意味は「阿弥陀という名の真理に目覚めた者を信じ帰依をする」という意味になるのですが、なぜその念仏が「自己を発見すること」に繋がるのでしょうか?

 

 

<私のあじわい>
大昔の文字の読み書きもできないような時代の人々であれば、とにかく「ナムアミダブツとお念仏を称えることが大切なのだ」と祖父母、両親、子、孫と口伝えに伝えられ、また親や祖父母が手を合わせて念仏する姿を見て代々伝わっていったのだと思います。

 

私の友人で、全く仏教に興味が無いような人がいるのですが、私が僧侶になったという話をしたら急に「きーみょうむーりょうじゅーにょーらいー」と正信偈の一節を暗誦し始めました。話を聞くと祖母が毎日お仏壇の前でお経のお勤めをしていたそうで、自然と覚えてしまったのだそうです。

 

しかし現在は核家族化だったり、家の中にお仏壇を置くスペースがなかったりと、以前であれば自然と伝わってきたものが継承されなくなってきています。

 

 

少し話がそれますが、以下の画像は毎日広告デザイン賞の一般公募・広告主課題の部で、「イオンの葬式」という課題に対し学生賞を受賞した作品です。

 

※以下横線を引いている部分は、当初私が思い違いをして書いた文章です。イオンそのものは賞の選考に関わらず、ポスターとして実際に使用されているわけでもないとご指摘をいただきました。充分な下調べをせずに記載してしまったことをお詫びいたします。


少し話がそれますが、大手スーパーのイオンの葬祭部門で、位牌が肉や魚のラップのような包装をされているポスターが作られました。


このデザインに対し、「葬儀や仏事がそれだけ商業的な扱いを受けているということで、その流れに乗っている僧侶や葬儀社も悪い」といった意見も見られましたが、僧侶はともかく一般の方にもかなり不評を買ったようで、その点に少しホッとしました。

 

私個人の思いとしては、東日本大震災のちょうど1ヶ月後、福島県の避難所を訪れていた時のことを思い出します。

自宅があったあたりのガレキの中から、ボロボロになった先祖の位牌を見つけ出して、「よかった、よかった」と涙を流されていた被災者の方。その方がこのポスターを見たらどう思われるだろうか…と感じました。

 


話を戻しますと、現代の私たちに意味の分からない言葉をただ有り難がって称えなさいといっても、それはなかなか難しいことだと思います。ちゃんと意味を知った上で、自分の意志で称えることが必要なのだと感じます。

 

なぜ念仏が大切なのか、なぜ阿弥陀仏に帰依をしなければならないのか。
そこにはまず、仏教のひとつの人間観で「凡夫」というものがあります。自らの修行によって悟りを開く能力の無い者、という意味です。

 

親鸞聖人は自らを「罪悪深重の凡夫」とまで言われました。仏さまの教えにも願いにも、なにひとつ応えることのできない私、という自覚です。こんな自分は地獄しか行き場がないとさえ仰っています。


これが今月の言葉の「自己を発見すること」に繋がるのではないでしょうか。何の忖度も幻想もなく徹底的に自己を見つめると、そこに全てを否定されるような救われがたい自分がいる。

 

しかし阿弥陀という仏は、私たちが罪悪深重の凡夫であることを承知の上で、その私たちを救うために誓願を打ち立てたのです。凡夫のあなたのままで生きていけば良い、凡夫のあなたのままで死んでいけば良い、と全てを肯定してくださっているのです。

 

絶対的な否定と絶対的な肯定が、自分の中に同時に存在している。それが浄土真宗という教えの、ひとつの到達点であると考えています。