2020年4月6日、なごみ庵の開所14周年の日に、この新ブログと新HPをリリースしました。

 

けれど世は新型コロナウイルス騒動の真っ最中、翌7日は緊急事態宣言が出されました。

 

1週間ほど前には志村けんさんが亡くなり、社会に衝撃が走りました。

 

報道のされ方や追悼番組の数々を見ていると、本当に広く多くの人々に愛された方だったんだなと感じますし、私もドリフの「8時だョ! 全員集合」を見て笑い転げた世代ですから、ひしひしと喪失感を感じます。

 

けれど、亡くなってからの続報を見て、また違った意味で心が締めつけられました。

 

オリコンニュースより

 

指定感染症である新型コロナウイルスで亡くなった方は、遺族が近づくことも葬儀を勤めることもできず、すぐに納体袋に密封され荼毘に付されます。

 

2月の前半ごろに葬儀社の方にそんな話を伺い、「ふ〜ん、そうなんだ」と聞いていたことが、まさかこれほど世に知られた人の身に起こるとは予想もしていませんでした。

 

独身だった志村けんさんの最も近しい肉親であるお兄さんは、見舞いに行くことも死に顔を見ることも、火葬に立ち合うことすらできず、変わり果てた姿となった弟の遺骨を自宅で受け取ったのだそうです。

 

 

前ブログで紹介した『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」 あいまいな喪失』という本があります。

 

たとえば戦争や災害などで、はっきりとした死の証拠(遺体など)がないまま家族や親しい人を喪った状態が「さよならのない別れ」で、志村けんさんの例もそこに含まれるでしょう。

 

逆の「別れのないさよなら」は、認知症や精神疾患や脳の病気で、体はそこにあるのに心の交流ができなくなってしまう状態を指します。

 

 

実は私もここ数年で2度、「さよならのない別れ」を経験しました。

 

悲歎からの回復には、悲しみに向き合い涙を流す、というプロセスが大切になります。

 

しかしさまざまな事情でそれができない時、喪失感は複雑なものになり、その人の心を長い間苦しめるのです。

 

 

新型コロナウイルスで亡くなったわけではなくてもその影響は大きく、葬儀を勤めることができなかったり、参列者を極力減らすという流れになっています。

 

もちろん病魔の蔓延を防ぐために必要なことですが、しかし日本中、世界中に「さよならのない別れ」が増え、後になって複雑な喪失感に苛まれる人も出てくるのではないかと思います。

 

もしあなたの大切な人が亡くなり、しかし充分にお弔いができなかったとしたら、ぜひその人を想って手を合わせてください。

 

仏教でも、神道でも、キリスト教でも、もちろん特定の信仰が無かったとしても、亡き人を想って真摯に手を合わせる積み重ねが、きっと将来のあなたの心を支えてくれるはずです。