自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる

When we can feel the pain of our own existence, our heart is opened to the pain of others.

 

 

今年の法語カレンダーは、僧侶であるなしに限らず広く念仏者の言葉が引かれています。


9月は宮城擇気鵑任后

実は私、お名前はよく目にしていたのですが、お恥ずかしいことに下の名前を「(あきら)」だと思い込んでいました。

しかし今回よくよく見てみると「(しずか)」という字でした。

 

改めて宮城擇気鵝真宗大谷派(お東)のご住職で、九州大谷短期大学の名誉教授まで務められたお方です。

 

 

<解説>
今月の言葉を見て、「その通り!」と思った方も多いのではないでしょうか。

 

自分が苦しい思いやつらい思いをすると、そのぶん人の苦しさつらさに思いを馳せることができる、という話を耳にしたことがある方も多いと思います。

 

「優しい」という字は、にんべんに「憂う」と書く、つまり憂いを知る人は優しくなれる。

 

武田鉄矢さんも「贈る言葉」の中で「人は悲しみが多いほど、人には優しくなれるのだから」と歌っています。

 

ひとつの意味としては、上記の通りで良いと思います。

 

しかし「自分が痛みを感ずるときに」ではなく「自分のあり方に痛みを感ずるときに」となっているのが気になります。宮城擇気鵑亙教系の短大で名誉教授まで務めた方ですので、もっと奥深い意味がありそうです。

 

 

<私のあじわい>
宗教と倫理・道徳は、一般的に似たようなものと解釈される場合が多いように思います。ですのでお寺で修行をすると倫理や道徳のしっかりした人になれるというイメージもあるでしょう。

 

もちろんそういう部分もあるのですが、でも宗教と倫理・道徳は全く別の面も持ちます。というか、倫理・道徳は私たちの常識の範囲を超えませんが、宗教はそこを超えていくのです。

 

たとえばキリスト教に「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という言葉があるそうです。倫理・道徳なら「暴力を振るわれたからといって殴り返すのではなく、冷静に話し合いましょう」といった話になるでしょう。

 

またお釈迦さまの前世の物語「ジャータカ」には、人や動物がいのちを犠牲にする話が少なくありません。

 

お釈迦さまがウサギとしてお生まれになった時、飢えた旅人に仲間の動物は魚や果物を持ってきますが、ウサギは何も持ってくるものがありません。そこでウサギは旅人にたき火をおこさせ、「自分を食べてくれ」と火に飛び込む話です。

 

この話は続きがあって、実は旅人は帝釈天で、ウサギの行動を誉めたたえ月にウサギの絵を書いた、という話になっています。続きはともかくとして、このウサギの行動も倫理・道徳を超えています。

 

たとえが少し長くなりましたが、つまり「自分が痛みを感じると人に優しくなれる」というのは真実ですし尊い話ですが、倫理・道徳の範疇を超えていません。


やはり「あり方」という言葉がキーワードのようです。

 

カレンダーの英訳で「あり方」に当たる部分は「the pain of our own existence」で、機械的に日本語訳をすると「私たち自身の存在の痛み」となります。

 

宮城收萓犬痢愨臾砧娘経講義』には…
人間は生き方に迷うておる存在ですね。他の動物には、おそらく生き方ということにおいて迷いはないのでしょう。いかに生きるか、どういう生き方をするか、ということは身体の本能が知っているわけですね。人間だけは、いかに生きるべきかということに迷うのです。

 

また『浄土論註・聞書寸言』には…
生物的にはあたりまえのことを、罪と自覚し、痛みと感ずるところに、人間であることが唯一保たれる、と言っていいかも知れません。

 

といった言葉があります。

 

WHOは1999年に人間特有の痛みとしてスピリチュアル・ペイン(根源的な痛み)という概念を提唱しましたが、人間という存在だけが感じることのできる痛みはそこと繋がります。

 

もうひとつ、先ほど出てきた『大無量寿経講義』の別の部分に…
聞法しようが念仏申そうが、悲しみや苦しみは消えはせんのですね。聞法し、念仏すれば悲しみや苦しみを味わわなくてすむかというとそんなことはない。
ある意味で悲しみや苦しみをより深く体験するのでしょう。より深くということは個人の悲しみとか苦しみにとどまらない。

 

とあります。

 

動物のように生きていれば感じなくて済む痛みに、精神的に深く豊かに生きていこうとすれば直面してしまう。

 

でも、せっかく人間として生まれてきたからには、それを感じないのは勿体ないとも思います。

 

たとえると、子どもの頃は味の好みは比較的単純ですが、しかし大人になるにしたがい、山菜のほろ苦さ、香辛料の辛み、出汁の奥深さなど、味わえる範囲が広がっていきます。


そういった味わいを知ってしまえば、毎日お子さまランチだけ出されても物足りなくなってしまう。

 

ですので深い悲しみや苦しみは、私たちの人生をより味わい豊かなものにしてくれるとも言えるのではないでしょうか。